バターン死の行進 タルラック カパス

Angeles City から車で40分ほどの位置に、日本とフィリピンの戦争歴史に関係する観光スポットがある。Capas National Shrine は入場料が安い、Angeles~神風特攻隊マバラカット基地記念碑、タルラック・カパス~ピナツボ山という1日で戦争歴史関連の2~3か所観光とピナツボ火山の観光コースができる。


Capas_National_Shrine (2)

日本軍の捕虜後送計画は、総攻撃の10日前に提出されたものであり、捕虜の状態や人数が想定と大きく異なっていた。捕虜は一日分の食料を携行しており、経由地のバランガまでは一日の行程で食料の支給は必要ないはずであった。実際には最長で三日かかっている。バランガからサンフェルナンドの鉄道駅までの区間では200台のトラックしか使用できなかったが、全捕虜がトラックで輸送されるはずであった。しかし、トラックの大部分が修理中であり、米軍から鹵獲したトラックも、継戦中のコレヒドール要塞攻略のための物資輸送に充てねばならなかった。結局、マリベレスからサンフェルナンドの区間88kmを、将軍も含めた捕虜の半数以上が徒歩で行進することになった。この区間の行軍が『死の行進』と呼ばれた。

米兵達は降伏した時点で既に激しく疲弊していた。戦火に追われて逃げ回り、極度に衰弱した難民達も行進に加えられた。日米ともにコレヒドールではマラリアやその他にもデング熱赤痢が蔓延しており、また食料調達の事情などから日本軍の河根良賢少将はタルラック州カ パスのオドンネル基地に収容所を建設した。米比軍のバターン半島守備隊の食料は降伏時には尽きており、日本軍も捕虜にまわす食料の余裕は無かった。さらに 炎天下で行進が行われたために、約42Kmの道のりで多くの捕虜が倒れた。このときの死亡者の多くはマラリア感染者とも言われる。



当初の捕虜輸送案
区間 距離 備考
1.マリベレス~バランガ 約30km
2.バランガ~サンフェルナンド 約53km トラック200台での輸送(一部のみ)
3.サンフェルナンド~カパス 約48km 鉄道での輸送
4.カパス~オドネル 約12km

この表のように、捕虜が歩くのは1と4の区間だけであり、バランガとサンフェルナンドには野戦病院を設置し、その他数キロごとに、救護所や休憩所を設置して傷病兵を手当てする計画であったが、上記のように、当初日本軍が想定していた事態を大きく上回った。
https://en.wikipedia.org/wiki/Capas_National_Shrine


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この日はCapas National Shrine に入らなかったが、高い塔がそびえているのが見える。エレベーターがあるのか?たぶん古い建物だろうから階段しかないかもしれない。どの高さまで登れるのかは見学していないので詳細不明。


Capas_National_Shrine (4)

この近くに温泉とゴルフコースがある、宿泊してゴルフプレイしてもお手頃価格だそうだ。この地域は「フィリピン不動産、一軒家 貸家情報 1か月/3500ペソ(8966円)」で紹介したように 、ちょい田舎なので土地も安いし家賃も安い。 

タルラックは内陸地で畑が多いイメージ、食料品調達のマーケット(市場)は朝から夕方まで開店しており、買い物には便利。


Capas_National_Shrine (5)
2016年1月に天皇皇后両陛下がフィリピンを訪問しましたが、第二次世界大戦で日本軍は東南アジアに進出。フィリピンは戦争末期に神風特攻隊が飛び立った地でもあり、歴史上フィリピンと日本の関係は深い。バターン半島や、コレヒドール島は戦争歴史、遺産などがあるのでフィリピン観光には是非とも足を運んでほしい。

バターン死の行進道のり
引用元:wikipedia バターン死の行進


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Capas National Shrineへの行き方

Angeles City から車で40分程度
SCTEX(高速道路) Clark South入口~ Concepcion (約15分)
Concepcion 出口から左折、一般道、目印に三角地(マクドナルド・Caltex)を右折
ガソリンスタンドを左折して、突き当りを右折、道なりに進む




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