バターン死の行進、真実についていろんな諸説

オバマ大統領がヒロシマ(広島)を訪問するにあたって、第二次大戦中の元米捕虜も同行することが報じられている。1942年、フィリピンで日本軍が行った「バターン死の行進」で生き残った元米軍捕虜の団体にホワイトハウスが出席を要請したという。

フィリピン観光のみどころとして、第二次世界大戦の歴史と遺跡は需要なポイントだ。戦争末期には、神風特攻隊がマバラカット飛行場から飛び立った、戦艦武蔵の最後はレイテ湾で米軍の攻撃により沈没した、コレヒドール島戦没者慰霊碑がある、バターン死の行進はサンフェルナンド~バランガの道のりで米兵捕虜、フィリピン兵捕虜などが大勢亡くなった歴史がある。

http://overseas.blogmura.com/philippine/ranking.html

【参考記事】
フィリピン観光 Capas National Shrine 日本と第二次世界大戦 バターン死の行進

Capas_National_Shrine (2)

バターン死の行進の真実

この問題の最大の原因は日本軍が国際法に則り、真面目に米軍捕虜を、捕虜として扱ったことにある。
これが米軍だったらすでにいくつもの米軍側の資料や「リンドバーグ日記」にあるように、米海兵隊は、日本軍捕虜をほぼ全員虐殺していたのだ。

藤崎一郎駐米大使が日本政府を代表して出席した。「バターン半島・コレヒドール島などで、悲惨な経験をした元戦争捕虜を含む多くの方々に、多大な損害と苦痛を与えたことに、心からのおわびの気持ちを表明します」と謝罪した。日本政府が元米兵捕虜に直接謝罪したのはこれが初めてのことだ。

一方、日本の戦争被害者らの間からは、政府の計画に疑問の声もあがっている。米国は原爆投下や無差別空襲などの犠牲者に謝罪していないためだ。日本原水爆被害者団体協議会の田中煕巳事務局長は、「米軍捕虜を招くなら、政府は米国に原爆や空襲の犠牲者への謝罪を求めるべきだ」と話している。
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2453474.html

 Samat  Giant Statues

Mt. Samat | Giant Statues(サマット山)、バターンにある記念碑は戦争歴史のみどころ、エレベータで高いクロス塔に上ることができ、中にはフィリピン、日本、アメリカの戦争の歴史があります。

バターン死の行進 地図 サンフェルナンド~バランガ


当初の捕虜輸送案
区間 距離 備考
1.マリベレス~バランガ 約30km
2.バランガ~サンフェルナンド 約53km トラック200台での輸送(一部のみ)
3.サンフェルナンド~カパス 約48km 鉄道での輸送
4.カパス~オドネル 約12km
この表のように、捕虜が歩くのは1と4の区間だけであり、バランガとサンフェルナンドには野戦病院を設置し、その他数キロごとに、救護所や休憩所を設置して傷病兵を手当てする計画であったが、上記のように、当初日本軍が想定していた事態を大きく上回った。
https://en.wikipedia.org/wiki/Capas_National_Shrine

バターン死の行進道のり
引用元:wikipedia バターン死の行進


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コレヒドール島

マニラ湾に浮かぶ、おたまじゃくしの形をした小さな島コレヒドール島、ここが第二次世界大戦時に激しい戦闘地となった。。アメリカ軍と日本軍との戦争の歴史、遺跡がいまでもフィリピン観光スポットとして有名。フィリピン人ツアーガイドには日本語が達者な「エドさん」というおじいさんがいる。自己紹介で「東京の昔の名前、江戸のエドさんです」と笑いをつかむ。

コレヒドール島写真
マニラからフェリーに乗り約40分ほどで到着するコレヒドール島
大砲があり、空襲で破壊された建物が残り、日米軍の激しい戦闘のあったトンネル
レイテ湾で沈没した戦艦武蔵の慰霊碑などがある

日本人がここを訪れると感慨深い物があります。

コレヒドール島


コレヒドール島 戦艦武蔵 コレヒドール島戦没者慰霊碑


コレヒドール島地図






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